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March 20, 2018 | Author: Anonymous | Category: SCIENCE AND NATURE
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特集

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特集 3

『舎密開宗』からたどる, 和名 「塩酸」,「 塩素 」 の名称の起源について 東大寺学園中・高等学校  松川 利行

は果たして翻訳原本のどのような単語を「塩酸」と訳

素(対応する酸は炭酸︶の 3 つで,ホウ素・フッ素・塩

したのだろうか。

素は未定(未発見︶であった。そのため,ラボアジエ の元素表には radical boracique,radical fluorique,

2.2 究極の原著,ヘンリー本について ヘンリー本は初版が 1801 年に発刊されている。

1. 緒言

radical muriatique と記されている。radical という のは酸素と化合して酸となる基(元素︶という意味で

自身が次のように

当時のヨーロッパ化学界を先導していたのはラボア

ある。ホウ酸の未知の元素を radical boracique と

塩酸・硫酸・硝酸は,初等中等教育課程理科で学ぶ

書 い て い る。「本

ジエを筆頭とするフランスである。

して,ホウ酸をその酸化物としたのは正解であった

代表的な酸である。化学的分類では,硫酸と硝酸は

書の原本はイギリ

オキソ酸で,塩酸はそれらとは異なり水素酸である。

ス人,ウイリアム・

燃焼におけるフロギストン説を打ち砕いて近代化学

知の元素の酸化物としたことは後世に混乱を起こす

しかし,日本語表記の類似性から,その種類の違い

ヘンリー氏の著述

の礎を築いた人物である。この時代には,それまで

原因になった。これから解き明かしていくように,

を知っている人は意外と少ない。酸の名称は,英語

であって,化学入

錬金術師達によって蓄積されてきた物質に関するさ

まさにこの事情が,日本語表記の 「塩酸」,「塩素」に

表記では表1に示したように種類別に系統だって命

門という意味の書

まざまな知識を,整理統合する動きが出てきた。こ

関する化合物の名称の混乱の原因にもなっていたの

名されている。しかし,何故か日本語ではこれらの

名である。ドイツ,

れらの中から,化合物の命名法も系統的に分類した

である (ただし,和名ではフッ酸も塩酸同様使われ

名前が不統一に訳されている。

エルフルト市の化

ものに改革しようとする企てが起こってきた。ラボ

ていたが,現在はフッ化水素酸と呼ばれるように

表1 代表的な酸の英名と和

学者,トロンムス

アジエは,ドウー・モルヴオー,フールクロア,ベ

なっている)。

ドルフ氏は,その

ルトレーたちと委員会を開き,その成果を 『化学命

塩酸は海水を煮詰めたものに硫酸を加えてできる

名法』という表題で 1787 年に公にしている。そして

ものとして 800 年ごろには錬金術師達の間には知ら

1789 年には,この命名法を含む脱フロギストン説

れていたようである。

オキソ酸 HClO3 H2SO4 HNO3 H3PO4 H2CO3 HCl HBr HI

Chloric acid Sulfuric acid Nitric acid Phosphoric acid Carbonic acid 水素酸 Hydrochloric acid Hydrobromic acid Hydroiodic acid

塩素酸 硫酸 硝酸 リン酸 炭酸 塩酸 臭化水素酸 ヨウ化水素酸

日本語の類似性という点では,「塩酸」という名称 は,むしろ HClO(chloric acid) 3 に対して付けられ るべき和訳で,HCl は「塩化水素酸」とするべきで あったのではないか。また,chloric からは「塩」と いう和訳は当てはまらないが,何故このような名称 がついたのか。 これらの疑問について,『舎密開宗』 に記されてい る HCl に関わる物質の命名の起源を調べていくと 興味ある知見が得られた。関連して,和名の元素名 「塩素」 の起源についても言及する。

2. 和名「塩酸」の由来 2.1 宇田川榕庵と『舎密開宗(せいみかいそう)』 「塩酸」という和名をつけたのは,近代科学用語の 基礎を作ったといわれる幕末の蘭学者,宇田川榕庵 と考えられる。榕庵が翻訳した『舎密開宗』1)の巻六  第百十六章に「塩酸」の記述がある (図1)。 この本は,天保七年(1836 年)に書かれ,天保 8 年から弘化 3 ~ 4 年にかけて出版されたといわれて いる。 『舎密開宗』の翻訳原本については,序例 2)に榕庵

ラボアジエは 1774 年「質量保存の法則」を見出し,

2 版について訂正 し,注を加えて自

図 1 『舎密開宗』巻六 第百十六章

国語に訳した。次いで,オランダの医学教授兼化学 教授アドルプス・イペイ氏はさらにこれを訂正し, 自国語に訳し,1808 年首都アムステルダムで刊行 した。・・・」 この記述に関しての考証は,坂口正男の論文『舎 3) 密開宗攷』 が詳しい。それによると,この本のも

ともとの原書は 1801 年に初版が発行されたイギリ ス 人 ウ イ リ ア ム ・ ヘ ン リ ー(W. Henry)の‘An

に 基 づ く 当 時 の 化 学 知 識 の 集 大 成 を『化 学 概 説』 ‘Tratié élémentaire de la chimie’として著したの である 5)。

が,水素酸である塩酸・フッ酸(フッ化水素酸︶も未

1652 年, ド イ ツ 人 グ ラ ウ ベ ル(J.R.Glauber︶ は, 海塩に硫酸を注いで蒸留し発煙海塩精を得た。当時 その成分は同定されなかったが,1772 年,フロギ

ヘンリー本の参考になったのは,当時最も先進し

ストン説信奉者のイギリス人プリーストリーは,

ていて権威のあったラボアジエの化学体系であって,

salt(塩︶に硫酸を作用させる方法で純粋な塩化水素

『化学概説』の内容がヘンリー本のベースになってい るものと推察される。 『化学概説』 に掲げられたラボアジエの元素表では,

ガスを得て,それを 「海酸気(marine acid air)」と 命名した 6)。ラボアジエはこれを酸素と未知元素か ら成る物質と考え,ベルトレーはこの未知元素を仮

Epitome of Chemistry’ の第 2 版で,これをドイツ

元素を 4 群に分けている。それまで錬金術師達によ

に muriatiqueum(現在の塩素に対応する︶と命名し

人トロムスドルフ(J. B. Trommsdorff)が増補翻訳し

り体系付けられていたフロギストン説が否定された

『化学命名法』に記載したのである (この解説は,『舎

たもの‘Chemie für Dilettanten’を,さらにオラン

のを受けて,ラボアジエは,フロギストンの代わり

密開宗』 の百十六章に詳しい)。この命名方法にし

ダ人のイペイ(A. Iipeij)が転訳した『初学者のため

に酸素を反応の中心に置き,元素を酸素との関係で

た が い, 塩 酸 は フ ラ ン ス 語 で acide muriatique

に書かれた化学の入門書』 ’Leidraad der Chemie

新たに分類したのである。この中の第 2 群には酸素

(muria はラテン語で海水の意味)と表記された。英

voor Beginnennde Liefhebbers’を邦訳したもので

と化合して酸を生じる元素が分類されている。ラボ

語表記では muriatic acid になる。和訳すれば「海酸」

あるという。したがって, 『舎密開宗』の直接の翻訳

アジエは,酸素 oxygen の命名者でもあるが,酸素

であろうか。「海水から得られる酸」という意味であ

原本はオランダ人イペイのオランダ語転訳本である

の語源は「酸を造るもの」 [oxy-(酸︶+ -gen(…から生

る。このように,塩酸は遡ればもともと硫酸などと

が,究極の原本はイギリス人ヘンリーの著書という

じたもの) ]であることは有名である。すなわち,酸

同じオキソ酸として分類命名されていたのである。

ことになる。しかし,『舎密開宗』に転載されている

性を示すものは全て酸素を含んでいるもの (今でい

イペイの翻訳書の序文に書かれているように,中間

うところのオキソ酸)と考えていた。

2.3 海酸(muriatic acid)から塩酸へ 『舎密開宗』の究極の原本に当たるヘンリーの本,

訳のドイツ人トロムスドルフは,ヘンリーの本を単

当時,酸性を示す物質は,現在では硫酸・リン酸・

にドイツ語に翻訳したのみならず,トロムスドルフ

炭酸・ホウ酸・フッ化水素酸・塩酸と呼ばれている 6

‘An Epitome of Chemistry’では,ラボアジエの化

自身の著作といってもよいほどに自ら内容を書き加

種類が知られていたようで,ラボアジエはそれらの

学体系を参考にしているので塩酸は muriatic acid

えている 。この事実から, 「塩酸」という単語の直

酸を形成する元素を第 2 群としたのである。ただ,

接の原語はこのトロムスドルフの本に記載されてい

この当時に元素として認識されていたものは,硫黄

たものと推測できるが,理由は後ほど述べる。榕庵

(対応する酸は硫酸︶・リン(対応する酸はリン酸︶・炭

4)

と表記されていたと考えられる。この単語からは 「塩」という和訳は出てこないはずである。 ところが,トロムスドルフによってドイツ語に訳

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特集 3

特集 3

されたものを,さらにオランダ語に転訳した,『舎

3. 和名 「塩素」 の由来

密開宗』の直接の和訳原本『初学者のために書かれた

3.1 「酸化塩酸」 とは

化学の入門書』には,zoutzuur と表記 されている。 7)

ヴ ィ ー は, 海 酸 を 酸 化 し て 得 ら れ る オ キ シ 海 酸 (oxymuriatic acid)は元素(単体)と考えた方が妥当

酸は全てオキソ酸と考えていたラボアジエの時代

オランダ語 zout は英語では salt,zuur は acid であ

には,acide muriatique(海酸)は,radical muriatique

る。したがって zoutzuur は直訳すると「塩酸」とい

(元素)と酸素の化合物と考えていたので,単体塩素

うことになる。このことから,榕庵はオランダ語を

に つ い て,『舎 密 開

日本語に直訳しただけであることがわかる。

宗』か ら も 面 白 い 勘

muriatic が西洋での翻訳過程のどこで,何故 salt

であるとし,1810 年,これにクロリン(chlorine)と 名付けた

の統一命名法に切り替えてしまったのであろう。 化学知識の導入の起源と当時の状況をオランダと

。chlorine の 語 源 は ギ リ シ ャ 語 の

同じくする日本,中国も muriatic acid の翻訳では

chloros (黄緑)で,単体ガスの色に因んで付けられ

「塩酸」 と訳され,古語 muriatic acid に対応する「海

10)

た名称である。

酸」 は辞書に存在していないのは興味深い。

その後,1812 年のヨウ素の発見に続き,ヨウ化 水素酸の研究やシアン化水素酸などが研究され,こ

違いがわかる。

理由も無いので,さっさと 1811 年のベルセリウス

ただし,現在使われている中国化学教科書 12)を 見ると,中国では 1811 年の統一命名法に則した 「

に変わったのだろうか。当時のオランダは化学にお

『舎密開宗』巻六 

れらが酸素を含んでいないのに酸性を示すことがわ

いては後進国であったと思われるので,イペイが意

百 二 十 一 章 に「酸 化

かるに及んで,ヨウ化水素酸などとの類似性から,

は俗称として書かれている。中国では現在世界標準

訳したとは考えにくい。これは,イペイがオランダ

塩 酸 ガ ス」と い う 章

塩酸も水素が主体の酸であると断定した。

に統一しようとしていることが窺える。

語に翻訳したドイツのトロムスドルフ本ですでに変

がある (図2) 。ここ

わっていたものと推察できる。

に, 「塩 酸 と 酸 化 マ

図 2 酸化塩酸ガス

酸」 ( は中国語の水素)が使用されていて, 「 酸」

ここに来て,権威であったラボアジエの元素表の

こ の よ う に, ド イ ツ だ け が muriatic acid と

第 2 群命名法の根拠が崩れ去り,西洋では新たな命

salzsäure の 2 つの用語を現在も有しており,フラ

salt はサラリーの語源であるように古代エジプト

ンガンをレトルトに入れ,曲管をつなぎ,ランプの

名 法 を 決 め る 機 運 が 高 ま っ た。 そ れ を 受 け て ス

ンスからイギリス,そしてドイツからオランダ,日

時代から知られていた物質である。多分これは岩塩

火で蒸留すると,このガスが発生・・・」と製法が書

ウェーデン人ベルセリウスは,1811 年に新たな統

本へと流れる情報のルートを考えると,ドイツ以前

であろう。しかし,最初に塩酸を単離したのは錬金

かれ,ついで百二十二章「酸化塩酸ガスの性質」の章

一命名法を提案した。この時塩素については,ベル

は muriatic acid だ け, そ し て ド イ ツ 以 後 は

術師である。その方法は,海の水を蒸発乾固して得

では,「色は深黄色で異臭激しく,嗅覚を刺激し,

セリウスも懇意にしていたデーヴィーの命名

salzsäure に対応する単語だけが伝わっているとい

られたものに,硫酸を注いで造るというものだ。そ

呼吸をふさぐ・・・。このガスは植物の色を退色させ

chlorine を尊重して決められたのは当然であろう。

う事実は,ドイツのトロムスドルフ本から 「海酸

れで“海水からとれたもの”という用語を使っていた

る。リトマスの染紙をこのガスの内に置くと,青色

現在,多くの諸外国では,塩素の元素名はデー

(muriatic acid) 」を 「塩酸 (salzsäure)」と表記してい

ものと考えられる。ところが,ヘンリーの本をドイ

が消える。ゆえにこのガスまたはそれを溶かしたも

ヴィーの命名にしたがっている。英語以外の表記は,

たのであろうという推測を裏付けるものである。

ツ人トロムスドルフがドイツ語に翻訳した時点では,

のを用いて綿布,麻布を漂白する。 」 とある。この

chlore (仏),chlor (独),cloro (伊・ 西) ,chloor( オ

「酸化塩酸ガス」は塩素のことであることは記述の内

ランダ ) と,ほとんどの国で chlorine に対応した

先に述べたように,プリーストリーによって開発さ れた,salt(塩︶に硫酸を作用させて造る方法が一般 的になっていたと考えられる。そのため, 岩塩 (salt)

9)

容から明白である。 塩素の単体をはじめて分離したのは 1774 年で,

3.3 元素 Cl の日本語名が塩素である理由

表記である。漢字の国 中国では chlorine を「 」と

以上述べてきたように,西洋では物質としての単

書くが,これは 「緑の気体」という意味であることは

離は,オキソ酸と勘違いした酸の muriatic acid が

漢字の形から想像できる。

先行して単離されたために,その後,シェーレによ

の産出量の多いドイツでは acide muriatique では

フロギストン説の大家,ドイツのシェーレである。

な く salzsäure (salz=salt,säure=acid)と 意 訳 し た

まだフロギストン説が支配していた時代であったの

単 語 が 通 用 し て い た の で あ ろ う。 ち な み に,

で,シェーレの発見した気体 (塩素)は単体とは認識

ターネットの翻訳辞典

salzsäure に対応すると考えられる英語 salt acid と

されていなくて,当初は脱燃素海酸(dephlogicated

英 語 表 記 は hydrochloric acid, オ ラ ン ダ 語 で は

oxygenatum と化学的に全く間違ったものになって

いう単語は辞書には見当たらないので,ヘンリー本

marine acid)と名付けられた。しかし,ラボアジエ

hydrochloric zuur, フ ラ ン ス 語 で は acid

いた。そのため,イギリス人デーヴィーが単体とし

に記載されていたとは考えられない。先に述べたよ

らによってフロギストン説が否定されてしまうと,

chlorhydrique,イタリア語で acido chloridrico で

て再発見し命名した,全く新しい chlorine という

うに,トロムスドルフは発行の序で,「3 年前に発

ベルトレーはラボアジエの考えに則り,radical 

ある。このように,ほとんどの国で化合物も新命名

名称が,すんなり元素名として採用され,化合物も

表した初版に比べ,ある部分は本文を書き直したり,

muriatique を 酸 化 し た も の(acide muriatiqu 〔塩

法に統一されていることがわかる。

これに対応するように命名し直されたのである。

新しい発見や知見を書き加えたりした」8)と書き記

酸〕 ︶ を さ ら に 酸 化 し た も の(acide muriatique

していることから,彼は原本の acide muriatique

oxygéné)と 名 付 け た

を salzsäure と自国語に翻訳したと考えるのが妥当

oxygenated murinatic acide,イペイの本のオラン

ドイツ語では muriatishe säure,イタリア語では

の名称に起源のある古名「塩酸」のほうに連携してい

だろう。イペイはドイツと同じ言語圏のオランダな

ダ語では overzuurd zoutzuur となっている 。こ

acido muriatico と現在も残っているが,オランダ

て,世界の趨勢とはまったく逆の対応になっている。

ので,ただ単にドイツ語を zoutzuur (ソウトシュー

れを日本語に直訳して 『舎密開宗』では Cl2 が「酸化

語では zoutzuur が出てきて,muriatic acid に対応

一方,単体の再発見の歴史過程を考えると,榕庵は

ル)とオランダ語に直訳しただけだったのだろうと

塩酸」となったわけである。

した単語は無い。この事実は,化学後進国のオラン

Cl2 の再発見以前のラボアジエの化学体系によって

ダ に 紹 介 さ れ た と き に は, ド イ ツ で 意 訳 さ れ た

編纂された本から翻訳したのだから,ラボアジエの

salzsäure としてしか伝わらなかったことを示して

時代,塩素は未発見であったので 「塩素」と訳した原

いるのではないかと考えられる。そして,もともと

語はその本には存在しえないはずである。

。ヘンリー本の英語では

10)

7)

考える。そしてまた,宇田川榕庵も同じく,イペイ 本のオランダ語を直訳して「塩酸」と命名したのであ ろうことは想像に難くない。

3.2 塩素の再発見と HCl の新命名 海 酸(muriatic acid)や オ キ シ 海 酸 (oxymuriatic

一方,HCl についての表記を「塩酸」としてイン 11)

を使って調べてみると,

ちなみに,英語の muriatic acid に対応する訳語 をインターネットの翻訳辞典

11)

で調べてみると,

acid)から,いくら実験をしても酸素を検出するこ

翻訳化学しか無かった化学後進国のオランダでは,

とはできないことを確信したイギリスの化学者デー

輸入翻訳語の zoutzuur に対してこだわるさしたる

り化合物(酸化物)として単離同定された Cl2 の名前 は, 前 述 の よ う に acidiumu muriaticiumu 

ここで不思議なことに気付く。日本において元素 Cl の名称が「塩素」であるのは,ラボアジエの時代

この疑問に答えるためには, 『舎密開宗』の引用文 献についての検討が必要である。 『舎密開宗』はオラ

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特集 3

特集 3

ンダ人イペイが転訳した 『初学者のために書かれた

chlorine がオランダ語ではクがスに発音されるため

化学の入門書』 (『舎密開宗』では『依氏舎密』という)

らしい。この増注で注目できるのは,「ハロゲニウ

それは,榕庵は 『舎密開宗』の翻訳に先立って,ラ

ダで使われていた zoutstof の翻訳であるが,現在

を 中 心 に 邦 訳 さ れ て い る が, 実 は そ れ 以 外 に も

ム(ソウト・ストフ = 塩素)」と書かれていることであ

ボアジエの研究に相当打ち込んだ時期があり 15),そ

対応する単語はヨーロッパ原語では消滅したのか見

1788 年の『葛氏舎密』から 1827 年の 『蘇氏舎密』に至

る(図3,最後の行︶。

のため,彼の頭の中はラボアジエの 『化学概説』の影

当たらない。デーヴィーが Cl を再発見して以降,

『舎密開宗』において 「塩素」という単語が出てくる

響下にあったためではないかと思われる。ラボアジ

世界各国は Cl に関する命名を一新したのに対し,

のは,実はここが初めてではない。序例に「今日ま

エの時代の命名法は,carbon はラテン語の carb(木

Cl の元素名に錬金術師の時代の海酸に因む salt を

でに純一な元素の数は約 50 余種に達したという。

炭︶から,ラボアジエの命名による hydrogen(フラ

採用している日本は,きわめて例外的であることが

化学にとっては錬金術の時代から脱皮し,近代化学

次にこれらをいろはの音順に列挙し,初学者の記憶,

ンス語で hydrogène )は, 「水を生ずるもの」を意味

わかった。

が誕生した革命的な時であった。この中の 『蘇氏舎

暗唱の助けとする(漢名,訳名,オランダ名はそれ

することを見てもわかるように,分離された物質の

これには,日本の西洋化学の原典といわれる『舎

密』は引用文献中最も新しいものの一つで,スマル

ぞれの下に割り注とし・・・)」 とあり,そこの “す”

由来に関係した名前になっているものが多い。確か

密開宗』を著した宇田川榕庵が果した役割は大きい

レ ン ビ ュ ル ク (F.van Catz Smallenburg)著 

の欄に 「すろりん」 [ソウト・ストフ(= 塩素)]と明記

に,周期表の元素名を見ていても,分離された物質

と考える。

されている。

名由来に関係した元素名は親しみやすい。ラボアジ

るまで,20 数冊のオランダ翻訳本を引用したと『舎 密開宗』の序例 に明記されている。 2)

ラボアジエの『化学概説』の発表からの 30 年間は,

‘Leerboek der Scheikunde.’ 3 vole のことである



13)

2)

この本には,デーヴィー以後のヨーロッパの化学革

オランダ本を主たる原本としている本なのに,こ

命の新知見が収められている。榕庵は,これらの参

こでの元素名には英語表記を基本としているのは驚

考書によりヨーロッパにおける化学革命の実状をか

きである。

思われる zoutstof を採用したのだろうか。

エの 『化学概説』に親しんでいた榕庵も同じ気持ちで あったのではないかと思う。 「塩酸」 という命名は「海酸」からきている。そんな

なりな程度知っていたようで,『舎密開宗』には必要

榕 庵 が 化 合 物 の 名 称 に 特 に 参 考 に し た の は,

思 い も あ っ て, 榕 庵 は 新 元 素 Cl の 和 名 の 訳 に

に応じて,それらの参考書からの知見を増注として

トロムスドルフの『合薬舎蜜』 (‘Leerboek der,

chlorine 「黄緑素」よりも zoutstof 「塩素」を選んだの

併 記 し て い る。 た と え ば, 先 に あ げ た 巻 六 

Ar tsenymengkundige,Proefonder vindelijke

かもしれない。いっそうの事この時点で,「塩酸」を

百二十一章の「酸化塩酸ガス」の章では,増注として

Scheikunde,1815 2vols) と 『和蘭局方』 (’ Nederlandsche

HClO3(本 来 は, 最 高 酸 化 数 に あ る オ キ ソ 酸 の

「『蘇氏舎密』によれば,1774 年シェーレ氏がはじめ

Apotheek, 1826)であるといわれている 14)。『和

HClO4 に対してつけるべきだったもの︶の名前に変

て塩酸に酸化マンガンを加え,蒸留してこれを得た。

蘭局方』は発行年が 1826 年ということで,これは化

更し,HCl は 「塩化水素酸」と意訳する知恵があれば

その時はこれをフロギストンを失った塩酸とみなし

学革命以後のデーヴィーたちの新知見を取り入れた

よかったのにと悔やまれる。そうすれば酸素酸・水

て,脱フロギストン塩酸と名付けた。その後,ベル

ものとなっている。序例の元素名はここからの引用

素酸の分類と元素名が,和名でも一応はつじつまは

トレーはミュリアチキュウムのさらに酸化したもの

であろう。以上より,増補の内容の真偽は措くとし

合うことになる。

として,過酸塩酸と命名した。近年,ゲーリュサッ

ても,デーヴィーの Cl の再発見以後,ヨーロッパ

クとテナールは,その酸素を分離しようと考え,あ

では「スロリン」, 「ハロゲニウム」, 「ソウト・ストフ」

行中の発展途上,西洋から移入する情報が錯綜して

らゆる手段を尽くしたが,ついにこれを得ることが

の 3 つの名称が存在していたことがわかる。それぞ

いたので,榕庵は,デーヴィーの chlorine 発見以

できなかった。これによって,このガスは,酸素を

れの原語は,chlorine,halogenium,zoutstof が対

後の世界の新しい流れは増補として取り入れつつも,

含むものではなく,純粋な一元素であるとして,こ

応する。

知らなかったからではなく,彼の化学知識の原点は

当時はまさにラボアジエから始まった化学革命進

の元素をスロリン,またはスロニウム(ここは黄緑

榕庵は,chlorine に関しては,そのまま表音で「ス

あくまで『化学概説』 にあったために,採用しなかっ

素と訳す。原語はこの色に因む名前である)と名付

ロリン」とするか,あるいは「黄緑素」と訳していて,

たのであろうと考える。だから,ラボアジエの元素

け,デーヴィー氏はハロゲニウム(ソウト・ストフ =

zoutstof は「塩素」と訳している。その後の世界の趨

分類の流れにある原語 zoutzuur からの翻訳単語「塩

塩 素)と 名 付 け

勢からいえば,榕庵が「スロリン」あるいは 「黄緑素」

酸」を尊重し,それとの日本語名での統一性という

た」 (図 3) と,

を採用しておけば世界標準になったはずであるのに,

点を重視して,マイナーな zoutstof を採用し元素

シェーレの塩素

何故マイナーな「塩素」のほうを選択したのであろう

名を 「塩素」としたのだろうと推察できる。その結果,

の発見からデー

か,興味が湧く。

世界各国が 「スロリン」を採用し関連化合物名もすべ

ヴィーに至る再

榕庵は,先に述べた序例 2)の 「元素名一覧」におい

発見までの経緯

て英語名を最初に挙げていることから窺えるように,

を詳しく紹介し

ヨーロッパではデーヴィーたちのイギリス系化学会

て い る 9)。 こ こ

が,勢力を持ちつつあることを十分理解していたと

ではスロリンは

思われ,chlorine が主流になっているといった事情

水素酸の HCl の日本語名が,硫酸や硝酸といっ

「蘇 魯 林」と 表 記

も 十 分 知 り え た は ず で あ る。 そ れ な の に 何 故

た酸素酸と同様の表記になっているのは,ラボアジ

chlorine を採用せず,さほど通用していなかったと

エの元素の分類に起源があることがわかった。

さ れ て い る が, 図 3 ソウト・ストフ(塩素)

て新しく命名し直したのとは裏腹に,日本では元素 名の方を先祖がえりさせたような 「塩素」が定着した。

4. まとめ

元素名「塩素」については,その起源は一時オラン

参考文献 1)にアドレスを示したが,『舎密開宗』の 元本は中村学園の HP に掲載されている。 なお,本内容は奈良県高等学校理化学会会報に発 表したものである 16)。 参考文献 1) 宇田川榕庵,舎密開宗   http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/yogaku/seimi/index.   htm(2009 年 8 月 1 日現在 ) 2) 田中実校注,舎密開宗 復刻と現代語訳,   講談社,1975,pp.8 -16. 3) 坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.2. 4) 田中実校注,舎密開宗 復刻と現代語訳,   講談社,1975,p.2. 5) 久保昌二,化学史,白水社,1969,pp.44-46. 6) A.I . アイド,現代化学史 1,みすず書房,1972,p.49. 7) 坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.50. 8) 坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.10. 9) 田中実校注,舎密開宗 復刻と現代語訳,   講談社,1975,pp.143-144. 10)久保昌二,化学史,白水社,1969,pp.79-81. 11)翻訳辞典   http://www2.worldlingo.com/ja/products_services/     computer_translation.html (2009 年 8 月 1 日現在) 12)普通无机化学 北京大学出版社,1994,p.53. 13)坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.25. 14)坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.45. 15)坂口正男,菊池俊彦,道家達将,田中実,   舎密開宗 研究,講談社,1975,p.21. 16)松川利行,奈良県高等学校理化学会会報 2008,47,   pp.18‐24. 

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